5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

岩崎家

1 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:53
三菱の創業者一族・岩崎家について語るスレ



2 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:53
ちなみに三菱財閥の当主は:
@弥太郎(創業者)→A弥之助(弥太郎の弟)→B久弥(弥太郎の長男)→C小弥太(弥之助の長男)です。
そして財閥解体に至りました。


3 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:54
弥太郎と龍馬は交流があったようです。
ともに土佐出身ですし、後藤象二郎が2人の共通の友人でしたから。
ちなみに弥之助の妻・早苗は象二郎の長女です。


4 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:55
岩崎家は男子の少ない家系なので、4代目で男の末裔は10人位でしょうか。
弥太郎系の本家は@弥太郎→A久弥→B彦弥太(久弥の長男、元三菱地所取締役)を経て、
現在の当主は寛弥氏(彦弥太の長男、現東山農事社長)です。
弥之助系の本家は@弥之助→A小弥太→B忠雄(林董の孫、小弥太の婿養子)を経て、
現在の当主は正男氏(渡辺良吉の次男、忠雄の婿養子、現麒麟麦酒勤務)です。
岩崎寛弥・岩崎正男両氏とも4代目なので、他の4代目の男たちをあげると:
★岩崎東一氏(弥太郎の曾孫、久弥の孫、隆弥の長男、故人)
★岩崎兼幸氏(吉田良兼の三男、勝太郎の養子、弥太郎の曾孫、豊弥の孫、現東京海上勤務)
★岩崎泰頴氏(弥太郎の曾孫、康弥の孫、精一郎の長男、古生物学者)
★岩崎正秀氏(弥太郎の曾孫、康弥の孫、精一郎の次男)
★岩崎俊男氏(弥之助の曾孫、俊弥の孫、寿男の長男、現東京三菱銀行勤務)
★岩崎正寛氏(弥之助の曾孫、輝弥の孫、毅太郎の長男、現旭硝子勤務)
★岩崎透氏(弥之助の曾孫、輝弥の孫、英二郎の長男、現三菱商事勤務)
★岩崎純氏(弥之助の曾孫、輝弥の孫、英二郎の次男、現ニコン勤務)
がおります。
戦後の岩崎家の男たちは三菱系企業に勤めているか学者になっているかのどちらかですね。
なお3代目の男でも:
★岩崎寿男氏(近藤宏太郎の四男、俊弥未亡人・八穂の婿養子、元三菱自動車常務)
★岩崎英二郎氏(弥之助の孫、輝弥の次男、ドイツ語学者)
は今も健在です。
金持ちなのは…今でも岩崎家は日本の上流階級の一員ですからね。
それでは!!。



5 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:56
坂本龍馬系の本を読むとチラホラ出てくるな。
岩崎弥太郎たんは元は土佐の貧乏郷士。
金かんじょうが出来るというので後藤象二郎に取り立てられ
土佐後援、坂本龍馬主催の海援隊設立の際に岩崎弥太郎が海援隊の財務を取り仕切ったとか。
龍馬死後、明治維新が成り、後藤から海援隊一式を貰い、それを元手に
財閥を作り上げていく。
特に海援隊によって作られた全国各地の物価情報(大阪ではコレが売れるとか、上海では何が高いとか)
みたいな重要な情報が大変役立ったそうな。

曖昧なんで違うところもあるかもしれんが、大筋はこんな感じで




6 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:57
私は三菱銀行に吸収合併された方の銀行員ですが。
このグループ内の常識・慣行でびっくりすること多いです。

まず、お互いがグループ内の人間だとわかると相手の肩書き・
入社年度・出身校などやたら探り入れてきます。
(気をつけないと自分の上司に人脈つながってる恐れがあるからです)

それから徹底した一般株主軽視。考えてみれば大株主はグループ企業
ばかり(持ち合い)で、外部資本を極力いれないようにしてます。
自動車にダイムラー・クライスラーの資本入れるときはもめたようです。
社長・頭取人事は、三菱グループの長老の懇談会=金曜会で決めてます。
(自動車の前社長も役員会・株主総会ではなく、金曜会でクビにされました)

それから、徹底した顧客軽視。内部の人間に対する丁寧な気配り・態度の方が、
外部の顧客への接客姿勢よりも評価されます。

総じて言えば、日本最大の田舎者企業グループ(村社会)と言えましょう。
法律や経済原則よりも、村の長老の意思決定がすべてに優先します。

その結果、一部の会社を除いてはジリ貧状態(業界2〜4位)のところが
多いのです。それでも社員はスリーダイヤモンドの名詞もつと安心する
らしく、改革する気がありません。

ちなみに、日興證券は社内改革&外資提携やろうとして、グループから
村八分にされ、捨てられました。東京マリーンもグループから少し距離
を置いてます。



7 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:57
伊豆の三養荘って高級旅館。
元々は岩崎家の別荘だよね。



8 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:58
三菱で業績が良い企業には「三菱」の名を関していない所が多いようですね。
麒麟麦酒、旭硝子、ニコン、東京海上、明治生命、日本郵船の6社は
三菱グループの企業ですが「三菱」の名を冠していません。
また上記6社は業績も良く、業界トップの企業もあります。
なお、三菱商事の現会長・槇原稔氏の妻は
故・岩崎隆弥氏(弥太郎の孫、久弥の次男、元三菱製紙会長)の三女・喜久子さんです。



9 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:59
○○県三菱系支店長クラス親睦会みたいのがあって、そこでは御三家の人は
上座らしい。そこで16さんと同じ系統の支店長が行内的には格下の支店長の
隣に座ろうとしたら、羽交い絞めされて一番末席に座らされたと聞いたが?
これ本当の話?都市伝説みたいなもの?



10 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 08:59
成蹊大学って、三菱系の大学

11 :アポロン:04/03/24 09:08
また勉強中とかいうHNの頭のおかしい奴が糞スレを。。

12 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 09:20
岩崎って誰?

13 :おお:04/03/24 12:09


14 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:44
参考までに三菱グループの社長会・金曜会のメンバー(2000年2月19日現在)をあげておきます。
東京三菱銀行、三菱信託銀行、明治生命保険、東京海上火災保険、
三菱商事、三菱建設、キリンビール、三菱レイヨン、三菱製紙、
三菱化学、三菱瓦斯化学、三菱樹脂、旭硝子、三菱製鋼、
三菱マテリアル、三菱伸銅、三菱電線工業、三菱アルミニウム、
三菱化工機、三菱電機、三菱重工業、三菱自動車工業、ニコン、
日石三菱石油、三菱地所、日本郵船、三菱倉庫、三菱総合研究所




15 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:45
本当です。DQNなコネ採用者が沢山入ってきます。
     ちなみに、成城大学は三井系の大学です。




16 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:45
泰頴氏は1936(昭和11)年に三菱銀行員・岩崎精一郎の長男として生まれました。
精一郎の父は弥太郎の三男・岩崎康弥です。
故に泰頴氏は弥太郎の曾孫にあたるのです。
泰頴氏は古生物学者で現在熊本大学理学部地球科学科の教授です。
なお泰頴氏の祖父・康弥は1960(昭和35)年に永眠し、
康弥の長男・精一郎もその翌年に亡くなっています。

日本史板の「落ちこぼれ華族について語るスレッド」でも岩崎家ネタが取り上げられています。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1001421940/



17 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:46
それとも分家なのでしょうか?
弥太郎系の本家の当主が岩崎寛弥氏(71)、
弥之助系の本家の当主が岩崎正男氏(60)です。
寛弥氏は東大経済学部卒、正男氏は慶大卒です。
寛弥氏には子供がいないので、
岩崎輝弥の孫・透氏(51)を養子に迎えています。
岩崎透氏も確か慶大卒だったと思います。
ちなみに寛弥氏の祖父・岩崎久弥は透氏の祖父・輝弥の従兄です。
その東海大卒の人が本家の当主だとしたら恐らく正男氏の婿養子でしょう。
岩崎正男氏には子供が長女の雅美さん(26)しかいないので、
雅美さんに婿養子を迎えて跡を継がせることになるでしょう。
年齢的にも雅美さんの夫なら「30歳ぐらい」でもおかしくありません。
最も雅美さんの夫(正男氏の婿養子)や透氏が正式に岩崎家の当主になるのは
正男氏や寛弥氏が亡くなってから、ということになるでしょうね。



18 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:47
三菱マークのサラダ油「リノールサラダ油」ってどう?

リノール油脂は日清製油と経営統合しました。つーより、日付を見ると経営統合の
発表前じゃん。内部リークしたかったんだね。



19 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:47
三菱鉛筆のオーナー一族・数原家は増岡家・高島家を通じて
岩崎家と親戚になります。
弥太郎系本家の3代目・岩崎彦弥太は
財閥解体がなければ三菱財閥の5代目当主になっていたことから
「悲劇の岩崎家当主」と呼ばれました。
最も彦弥太氏は戦前は三菱合資会社・三菱本社の副社長を務め、
戦後は三菱地所の取締役を務めました。
その彦弥太氏の三女・美智子さんは
小岩井農牧・博報堂両社の取締役や慶大アメリカンフットボール部監督を歴任した
故・高島孝之氏(故・高島文雄弁護士の次男)に嫁ぎました。
孝之氏の弟・高島正之氏(文雄氏の三男)は現在三菱商事の常務で、
孝之氏の甥・高島信義氏(父は文雄氏の長男・高島信之弁護士)は東京海上に勤めているので、
高島家も三菱と縁の深い一族と言えます。
孝之氏自身、大学卒業後三菱石油に入社し、
その後、戦前の岩崎家が三菱とは別個に経営していた小岩井農牧に移っているのです。



20 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:48
高島孝之氏の姪・美砂子さん(高島信之氏の次女)は
増岡隆一鉄鋼ビルディング取締役に嫁いでいます。
増岡家は増岡組や鉄鋼ビルディングのオーナー一族として知られています。
増岡隆一氏の従姉・真理子さんが三菱鉛筆の数原英一郎社長に嫁いでいるのです。
ちなみに増岡隆一氏は故・増岡重昂元鉄鋼ビルディング社長の長男で、
数原真理子さんは増岡博之元厚相(重昂氏の兄)の次女です。
簡単にいえば高島家を通じて岩崎家と増岡家が親戚になり、
増岡家を通じて高島家と数原家が親戚になる、ということです。




21 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:48
岩崎家は男子の少ない家系です。
そこで岩崎弥太郎は一門を固めるために、
1876(明治9)年郷純造(のちに貴族院議員、男爵)の四男・昌作を養子に迎えています。
養子といっても婿養子などではなく、弥太郎の息子として育てられました。
郷昌作は当時数え2歳。
弥太郎と養子縁組すると同時に名前を「岩崎豊弥」と改名しました。
弥太郎の次男・岩崎秀弥が1911(明治44)年に数え32歳の若さで亡くなってからは
豊弥は弥太郎の次男とみなされました。
豊弥の妻・武子は旧大和郡山藩主家・柳沢保申の三女です。
豊弥・武子夫妻の長女・君子さんは入江為守子爵の次男で
長らく侍従長を務めた入江相政氏(エッセイストとしても有名)に嫁いでいます。
そして相政氏の姉・邦子さんは高木正得子爵に嫁ぎました。
高木正得・邦子夫妻の次女が三笠宮百合子妃殿下なので、
ここで岩崎家と皇室が結びつきました。
すなわち、岩崎家は入江家・高木家を通じて皇族とつながっているのです。
余談ですが、元日商会頭で番町会の主宰者・郷誠之助は郷純造の次男であり、
岩崎豊弥の実兄です。



22 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:49
「帝国データバンク会社年鑑2002年版」によると
岩崎透氏は現在小岩井農牧の取締役です。
透氏は三菱商事を退社して小岩井農牧に入社したようです。




23 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:50
コピペして楽しいか?

24 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:53
東海大卒の当主は三菱ではなくて三井の方。
本家のお孫さんだけどこのままなら2回相続税払わないといけない。
そこで孫が祖父の養子になって大学生の時、三井本家と遺産を相続した。このときの遺産総額は120億円を越えた。



25 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:54
三菱金曜会と並ぶ三菱グループの社長会・三菱広報委員会のHPの「歴史・沿革」のページでは
三菱の歴史に関連して岩崎家の人々(とはいっても三菱財閥の歴代総帥のみ)について語られています。
アドレスは↓です。
http://www.mitsubishi.or.jp/jp/history/index.html

同委員会HPの「岩崎彌之助物語」のアドレスは↓です。
http://www.mitsubishi.or.jp/jp/yanosuke/index.html
同じく「岩崎久彌物語」のアドレスは↓です。
http://www.mitsubishi.or.jp/jp/hisaya/index.html

参考までに三菱広報委員会のトップページのアドレスも書いておきます。
http://www.mitsubishi.or.jp/
なお三菱広報委員会の会員である企業は下のアドレスに載っています。
http://www.mitsubishi.or.jp/jp/companies/index.html/



26 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:55
三菱グループの概観について載っているHPのアドレス
http://www02.u-page.so-net.ne.jp/pb3/keikyu-t/intro3.html

三菱グループの社長会・金曜会について載っているHPのアドレス
http://www02.u-page.so-net.ne.jp/pb3/keikyu-t/bisi2.html

三菱グループ首脳の時代の証言が載っているHPのアドレス
http://www02.u-page.so-net.ne.jp/pb3/keikyu-t/bisi1.html



27 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:55
私も岩崎家や三菱について調べてみました。
岩崎家と村山家は旧岸和田藩主の岡部子爵家を通じて姻戚関係になっています。
岩崎弥之助の三男・輝弥は東京帝国大学農学部を卒業して子安農園を経営しましたが、
輝弥の長女・妙子が侍従・京都外語大教授を歴任した岡部長章に嫁いだのです。
長章の兄・長挙は朝日新聞の創業者・村山龍平の娘・藤子と結婚し龍平の婿養子となりました。
なお、長挙・長章兄弟の長兄・岡部長景は外交官から宮内省式部次官となり、
第二次世界大戦中は東條内閣の文相でした。
長景の妻・悦子は加藤高明・春路夫妻の長女なので、
悦子は岩崎弥太郎の孫娘にあたります(加藤春路は弥太郎の長女)。
従って岡部家は岩崎家の弥太郎・弥之助の両方の流れ及び村山家と繋がっているのです。
なお長景・長挙・長章の岡部3兄弟の父・長職は元法相です。




28 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:56
ただ日本の特権階級の閨閥を批判しておきながら、
天皇や皇族には敬称をつけているのが納得できません。
皇室批判もすれば(勿論天皇・皇族を呼び捨てにして)
それなりに筋が通っていると思いますが…。
最も私は皇室を敬愛しており、天皇制を廃止すべきではないと考えております。
在日・部落は入社できないですか…。
確かに日本の統治階級の閨閥には在日・部落出身の経営者なんかはいませんね。
最大最強の芸能プロ・バーニングプロダクションの周防郁雄社長には
本来なら閨閥があってもおかしくないのに皆無なのですから…。
ちなみに周防氏は在日ではないか、といわれております。




29 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:56
岩崎家は渡辺家・舘家・漆野家・下河辺家を通じて
オザケンこと小沢健二の一族・小沢家につながっているようです。
http://tv.2ch.net/geino/kako/1009/10092/1009275868.html



30 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:58
岩崎彦弥太(弥太郎の嫡孫、久弥の長男)は「悲劇の岩崎家当主」と呼ばれました。
もし財閥解体がなければ三菱財閥の5代目当主になったはずなのに、
財閥解体のため戦後は三菱地所の取締役(それも名誉職的なもの)になったにとどまったからです。
なお彦弥太の妻・操子は佐竹東家の末裔・佐竹義準の次女です。
それで岩崎操子さんの実家・佐竹家のスレ(日本史板にあります)にリンクを貼っておきます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1011233720/




31 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 16:59
三菱グループ

三菱財閥に起源を発する三菱グループ。
重化学工業を中心とし、強い結束力を持っている。
以下は三菱広報委員会に所属する企業であり、
太字は金曜会に所属する企業である。

東京三菱銀行(三菱東京フィナンシャルグループ)、三菱信託銀行(三菱東京フィナンシャルグループ)、
明治生命、東京海上火災(ミレア保険グループ)、三菱商事、三菱建設、キリンビール、キリンビバレッジ、
三菱レイヨン、三菱製紙、三菱化学、三菱ガス化学、三菱樹脂、大日本塗料、日石三菱、三菱液化瓦斯、
三菱石油開発、旭硝子、三菱製鋼、三菱マテリアル、三菱伸銅、三菱電線工業、三菱アルミニウム、
三菱原子燃料、三菱化工機、新キャタピラー三菱、三菱スペース・ソフトウェア、三菱重工冷熱システム、
東洋製作所、三菱事務機械、三菱電機、三菱プレシジョン、三菱重工業、三菱自動車工業、ニコン、
三菱地所、日本郵船、三菱倉庫、三菱鉱石輸送、三菱総合研究所、DCカード、
三菱オートクレジット・リース、宇宙通信

社長が(トヨタ車ではなく)三菱の車に乗っていると、
その会社が三菱系列である可能性が高い(らしい)。




32 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:00
上戸彩の婚約者・岩崎正樹は三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の玄孫です。
弥太郎の三男が岩崎康弥(元東京毛布取締役)。
康弥の長男が岩崎精一郎(元三菱銀行員)。
精一郎の次男が岩崎正秀(母は精一郎の後妻で片岡孫四郎の娘・栄。岩崎泰頴の異母弟)。
正秀の長男が岩崎正樹(上戸彩の幼馴染で現在は上戸とラブラブ)。



33 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:01
三菱の歴史は、土佐の郷士の子供として生まれた岩崎弥太郎が土佐藩の回漕業務の運営を一任されたことにはじまる。
岩崎弥太郎は岩崎正樹(沙樹)の高祖父にあたり、1870(明治3年)年には土佐藩が始めた九十九商会の監督に任ぜられ、
さらに翌年の廃藩置県後、九十九商会は個人事業となった。
岩崎弥太郎は県から土佐藩所有の船三隻を買い受け、1873年に三菱商会と改称し、海運と商事を中心に事業を展開した。
三菱商会はその後、三菱汽船会社、郵便汽船会社と改名を重ね、
主力事業である海運業においては外国勢力を駆逐して独占的な地位を得た。
しかし、1885年に共同運輸との対等合併で日本郵船会社が設立され、
中心事業である海運業を一時的に失ったが数年後には人的にも経営の実権を握ることとなった。



34 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:01
1885年に岩崎弥太郎死去の後、その弟、すなわち岩崎正樹(沙樹)の高祖父の弟にあたる岩崎弥之助が後を継いだ。
岩崎弥之助は三菱社と改名し1881年に買収した高島炭鉱と1884年に借り受けた官営長崎造船所を中核として、事業の再興を図った。
炭鉱、鉱山事業の拡充、1887年の長崎造船所の払い下げとその後の積極的な造船業の拡充、
1885年に第百九国立銀行の買収による銀行業務への本格展開をし、1887年に東京倉庫を設立した。

1893年に商法が施行され、岩崎弥太郎の長男・岩崎久弥が三菱合資の三代目社長に就任。
岩崎久弥は岩崎正樹(沙樹)の曾祖父の長兄にあたり、総務、銀行、営業、炭坑、鉱山、地所の各部を設置して分権体制を敷き、
長崎造船所の拡張と神戸、下関造船所の新設、麒麟麦酒の設立など、事業がいっそう拡大された。
1916(大正5)年に岩崎弥之助の長男・岩崎小弥太が四代目社長に就任した。
岩崎小弥太は岩崎正樹(沙樹)の曾祖父の従兄にあたり、部長制を廃止し分野別に担当事務理事を置いた。
1917年に三菱造船、三菱製紙、1918年に三菱商事、三菱鉱業、1919年に三菱銀行、
1920年に三菱内燃機製造、1921年に三菱電機と次々に分割化していった。
そして、満州事変から第二次世界大戦にかけて軍需の膨張拡大を背景に三菱の事業は飛躍的に拡大した。



35 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:02
戦後はGHQの方針で三菱本社、三菱商事も解散に追い込まれ、三菱重工業が三分割された。
しかし三菱商事が再合同、1954(昭和29)年に三菱主要企業の会長・社長の親睦と情報交換を目的とした三菱金曜会が始められた。
これは戦前の持ち株会社を頂点とした中央集権体制の復活ではなく、グループ各社による対等なグループ形成であった。
ただ他のグループと違い三菱グループの結束力は固かった。
とくに戦後の日本の高度成長期には、高度成長を担った重化学工業分野に中核有力企業が多いという三菱グループの強みが大いに発揮された。

ちなみに岩崎正樹(沙樹)の曾祖父・岩崎康弥は岩崎弥太郎の三男であり、
岩崎久弥の弟にあたる。



36 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:04
岩崎弥太郎(岩崎正樹の高祖父、三菱財閥の創始者)
http://www.sanbou.net/retsuden/aa/iwasaki-yata.htm

岩崎弥之助(岩崎正樹の高祖父の弟、三菱財閥の2代目総帥)
http://www.sanbou.net/retsuden/aa/iwasaki-yano.htm

岩崎久弥(岩崎正樹の曾祖父の長兄、三菱財閥の3代目総帥)
http://www.sanbou.net/retsuden/aa/iwasaki-hisa.htm

岩崎小弥太(岩崎正樹の曾祖父の従兄、三菱財閥の4代目総帥)
http://www.sanbou.net/retsuden/aa/iwasaki-koya.htm

岩崎俊弥(岩崎正樹の曾祖父の従兄、旭硝子の創業者)
http://www.sanbou.net/retsuden/aa/iwasaki-tosi.htm



37 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:05
岩崎正樹(沙樹)の曾祖父・岩崎康弥(元東京毛布取締役)は岩崎弥太郎の三男。
岩崎正樹(沙樹)の祖父・岩崎精一郎(弥太郎の孫、元三菱銀行勤務)は岩崎康弥の長男。
岩崎正樹(沙樹)の父・岩崎正秀(弥太郎の曾孫、康弥の孫)は岩崎精一郎の次男。



38 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:05
岩崎寛弥氏は岩崎家弥太郎系本家の現当主。
弥太郎系の当主は:
@岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)
A岩崎久弥(弥太郎の長男、三菱財閥3代目当主)
B岩崎彦弥太(弥太郎の嫡孫、久弥の長男、元三菱地所取締役)
C岩崎寛弥(弥太郎の曾孫、久弥の嫡孫、彦弥太の長男、元三菱銀行取締役、現東山農事社長)
弥之助系の当主は:
@岩崎弥之助(弥太郎の弟、三菱財閥2代目当主、元日本銀行総裁)
A岩崎小弥太(弥之助の長男、三菱財閥4代目当主)
B岩崎忠雄(林董の孫、小弥太の婿養子、元三菱モンサント化成社長)
C岩崎正男(渡辺良吉の次男、忠雄の婿養子、麒麟麦酒勤務だが年齢的には定年退職?)
ちなみにhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~m_iwasak/の管理人・岩崎雅美さんは岩崎正男・寛子夫妻の長女。
雅美さんの母・寛子さん(正男夫人)は岩崎忠雄・淑子夫妻の長女(忠雄・淑子夫妻には男子がいなかった)。
寛子さんの母・淑子さん(忠雄夫人)は岩崎俊弥(弥之助の次男で旭硝子の創業者)の次女で
岩崎小弥太の養女(小弥太には実子がいなかったので弟・俊弥の娘を養女にした)。




39 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:05
三菱グループの社長会・三菱金曜会のメンバー(全28社)。
旭硝子株式会社、キリンビール株式会社、新日本石油株式会社、東京海上火災保険株式会社、
株式会社東京三菱銀行、株式会社ニコン、日本郵船株式会社、株式会社ピーエス三菱、
三菱アルミニウム株式会社、三菱化学株式会社、三菱化工機株式会社、三菱ガス化学株式会社、
三菱地所株式会社、三菱自動車工業株式会社、三菱樹脂株式会社、三菱重工業株式会社、
三菱商事株式会社、三菱信託銀行株式会社、三菱伸銅株式会社、三菱製鋼株式会社、
三菱製紙株式会社、三菱倉庫株式会社、株式会社三菱総合研究所、三菱電機株式会社、
三菱電線工業株式会社、三菱マテリアル株式会社、三菱レイヨン株式会社、明治生命保険相互会社

三菱広報委員会のメンバー(全44社)。
三菱金曜会のメンバー全社、株式会社アイ・ティ・フロンティア、宇宙通信株式会社、
キリンビバレッジ株式会社、新キャタピラー三菱株式会社、大日本塗料株式会社、
ダイヤモンドリース株式会社、株式会社ディーシーカード、株式会社東洋製作所、三菱液化ガス株式会社、
三菱オートクレジット・リース株式会社、三菱原子燃料株式会社、三菱鉱石輸送株式会社、
三菱証券株式会社、三菱スペース・ソフトウエア株式会社、三菱プレシジョン株式会社、株式会社菱食




40 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:06
弥太郎系は真言宗、弥之助系は曹洞宗。
但し岩崎久弥の長女・美喜(弥太郎の孫娘)はキリスト教に関心を持ち、
クリスチャンの外交官・沢田廉三と結婚したのを機にキリスト教に改宗。
沢田美喜は戦後エリザベス・サンダース・ホームを設立、生涯に2000名もの孤児を育て上げた。
また、岩崎精一郎の次男・岩崎正秀(弥太郎の曾孫、康弥の孫)は
創価学会員の女性と結婚したのを機に創価に改宗。
そのため正秀の長男・岩崎正樹(沙樹)も創価。



41 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:07
21世紀は岩崎精一郎でいこうぞね
http://jbbs.shitaraba.com/music/bbs/read.cgi?BBS=571&KEY=1041234395

岩崎精一郎(1907-1961)は岩崎康弥(1882-1960)の長男で元三菱銀行員。
精一郎の父・康弥は岩崎弥太郎の三男で元東京毛布取締役。
精一郎は岩崎泰頴(熊本大学名誉教授)、岩崎正秀(正樹の父)にあたり、
岩崎正樹(沙樹)の祖父にあたる。



42 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:07
岩崎弥太郎が亡くなったのは1885(明治18)年。
従って三菱銀行設立時には弥太郎はこの世の人ではない。
ちなみに三菱銀行設立時の三菱財閥当主は岩崎小弥太(4代目総帥)。
上戸彩は弥太郎の玄孫・岩崎正樹(沙樹)と付き合っているといわれていたので、
このスレに上戸ネタがカキコされたと思われ。
だが今は上戸はV6の森田剛と付き合っているので、
上戸と岩崎家や三菱グループの関係は切れていると考えられる。
ちなみに上戸の所属事務所・オスカープロモーションのメインバンクは東京三菱銀行。
偶然だと思うが…。



43 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:08
そういえば創価学会も三菱グループとの結びつきは強いですね。
創価本体は勿論、関連企業も大半は東京三菱銀行がメインバンクだから。




44 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:09
【岩崎寛弥と上戸彩に熱愛騒動…岩崎氏の邸宅で連泊?】

東山農事社長で元三菱銀行取締役の岩崎寛弥氏(72)とタレント、上戸彩(17)の熱愛騒動が12日、
持ち上がった。13日発売の写真週刊誌「FRIDAY」が“袋とじスクープ”として、
ツーショット写真などを掲載して報じている。

同誌によると、上戸は11月下旬に、岩崎氏の愛車・デボネアの助手席に乗りこみ、
文京区湯島にある岩崎氏の邸宅を訪問し、2日続けて泊まったという。
また、岩崎氏宅近くの焼肉店で一緒に食事をしている写真も掲載されている。
岩崎寛弥氏は三菱財閥の創業者一族・岩崎家の本家の現当主であり、
上戸は、寛弥氏の又従弟・岩崎正秀氏の長男にあたる岩崎正樹氏との交際が噂されたことがある。

岩崎氏が社長を務める東山農事では「交際はしていません。上戸さんの元彼の一族の
本家当主ということから上戸さんの相談相手になったようなものです」と交際そのものを否定。
上戸の所属事務所も、「交際はありえません」と話している。
だが、岩崎氏本人は「妻の美智子と離婚して彩と再婚したい」と衝撃的な発言を述べていた。




45 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:23
岩崎寛弥は元三菱地所取締役・岩崎彦弥太の長男。
寛弥の曾祖父・岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)は岩崎正樹(沙樹)の高祖父。
寛弥の祖父・岩崎久弥(三菱財閥3代目当主)は弥太郎の長男。
寛弥の父・彦弥太は久弥の長男。



46 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:24
財閥解体により岩崎家は財産の大半をGHQに没収されたため、
戦後の岩崎家は上流階級ではあるものの戦前のように大豪邸に住んでいるわけではないのです。
なお文京区本駒込には元三菱製紙会長・岩崎隆弥氏(岩崎弥太郎の孫で岩崎久弥の次男)が生前住んでおり、
現在は隆弥氏の長女・由美子さん(船舶工学者元良誠三氏夫人)、
三女・喜久子さん(三菱商事会長槇原稔氏夫人)、
四女・紀子さん(元慶大医学部助教授山口寿夫氏夫人)とその家族が住んでいます。
他の岩崎家の方々は:
岩崎兼幸氏(吉田良兼の三男、勝太郎の養子、弥太郎の曾孫、豊弥の嫡孫、現東京海上勤務)は埼玉県戸田市在住、
岩崎泰頴氏(弥太郎の曾孫、康弥の孫、精一郎の長男、古生物学者)は熊本県熊本市在住、
岩崎正男氏(渡辺良吉の次男、忠雄の婿養子、弥之助系現当主)は東京都港区麻生永坂町在住、
岩崎俊男氏(弥之助の曾孫、俊弥の孫、寿男の長男、現ダイヤモンドキャピタル常務)と
岩崎寿男氏(近藤宏太郎の四男、俊弥未亡人・八穂の婿養子、元三菱自動車常務)は東京都港区南青山在住、
岩崎英二郎氏(弥之助の孫、輝弥の次男、ドイツ語学者)は神奈川県鎌倉市在住です。




47 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:24
なるほど。そういえば文京区本駒込に近い豊島区駒込か巣鴨にも岩崎(三菱)関連
の何かがあったような気がする。

三井家の総本家は今は港区の麻布だか六本木だかにあるらしいが、明治時代とかに
はやはり文京区にあったらしいという話を聞いたことがある。

今は下町のイメージが強く、高級住宅地とはいえない文京区だが・・・




48 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:25
三菱商事なら
菱食とローソンによる川中・川下戦略の強化。
どの商社もこれまでの手数料商売はやっていけないって考えてるけどな
まーイオンのおかげで「問屋中抜き論」も再燃しているし
どうなるかわかんねーが今のコンビニの様子見ていると卸強化した方が
得策だと見る向きが多いな。



49 :名無しさん@あたっかー:04/03/24 17:25
弟 岡部輝弥 子安農園主
甥 岡部長章 輝弥の二男。侍従
甥の子 岡部長衡 輝弥の長男の毅太郎の長男。トモエユニット社長。
妻は子爵の毛利元雄の娘の綾子
と3つも誤りがある。
岩崎家は男子の少ない家系なので他家に養子に出た男はいない。
岩崎俊弥の弟は岩崎輝弥(肩書きは子安農園主で正解)。
岡部長章(肩書きは侍従で正解)は岩崎輝弥の女婿(長章の妻・妙子が輝弥の長女)。
岡部長衡は長章の甥(長衡の父・長景は長章の長兄)。
岡部長衡の肩書きがトモエユニット社長なのと、
長衡の妻が子爵の毛利元雄の娘の綾子なのは正しい。
岩崎輝弥の長男は岩崎毅太郎。
岩崎輝弥の次男はドイツ語学者の岩崎英二郎。
岩崎毅太郎の長男は岩崎正寛(旭硝子勤務)。
ちなみに岩崎正樹の曾祖父・岩崎康弥(東京毛布取締役)は俊弥の従弟にあたる。




50 :名無しさん@あたっかー:04/03/29 16:58
■□■ご融資は安全・確実な当社で■□■

ご融資を受けるなら、東京都貸金業協会加盟
の当社で。安全・確実です。
利用限度額は50万円・支払いは毎月1回
利息は大手さんとまったく同じです。
都の2番は信用と長年の実績です。
借入れ件数多めの方・主婦・フリーターOK
http://www.meiro.org/
携帯から http://www.meiro.org/i/



27 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)